Masayuki Yoda 依田 昌幸
農家 米、アスパラガス、きゅうり
- 出身地
- 長野県上田市
- 生年月日
- 1974年3月29日
- 趣味
- スノーボード(ウインタースポーツ全般が好き)、車いじり(趣味だけの為の車RX-7とVIVIO RX-Rを所有)
米は栽培の仕方等で味の変化をつけるのが難しい作物ですが、土質で最も変化が見られると思っています。私の作付けする田んぼは自宅より東西南北に点在しており、土質も砂地から強粘土質まで様々。そこで食べ比べをして一番美味しいと思った地域の米を一般販売用にしております。更に食味が良くなるよう有機物(鶏糞)を播いたり、わらをローテーションで燃やして土質のバランスが崩れないようにしております。とにかく美味しい物を味わっていただきたい。その思いは強く持っております。
条件の悪い田んぼも作付けしています。世間一般で大きい田んぼと言えば100aというような規模になりますが私の作っている田んぼは160枚中3a、4a規模が50枚くらい、画像でわかる通り棚田などもあり最小は1a、要するに30坪ですが何枚かあります。効率は最悪ですが、その分他の人よりも動く時間を増やせばよいと、とにかく自分が動いて頑張ることで克服しています。
条件の悪い田んぼも作付けしています。世間一般で大きい田んぼと言えば100aというような規模になりますが私の作っている田んぼは160枚中3a、4a規模が50枚くらい、画像でわかる通り棚田などもあり最小は1a、要するに30坪ですが何枚かあります。効率は最悪ですが、その分他の人よりも動く時間を増やせばよいと、とにかく自分が動いて頑張ることで克服しています。
CAREER経歴
1994年地元、長野で自動車販売会社に勤務。幼少より祖父の農業を手伝っていたこともあり農業の辛さ、大変さを肌で感じていたので絶対に農業だけはやるまいと思い就職先として選ぶ。
祖父の高齢とともに農作業に携わる時間が増え、物作りの楽しさや太陽の下で汗を流して労働する魅力に魅せられ、就農することを決意。約20年勤めた会社を退職し農家としての新たな人生を2014年にスタートする。
退職の2週間前、100年に1度の大雪により育苗用のハウス3棟が倒壊する。出鼻を挫かれ人生とはこうも残酷で厳しいものかと痛感しましたが、むしろ気合が入ったし、ハウスも新しくなったし今となっては数年後に自分で建て替えることになるハウスの為のプラスの経験値になったなと思います。
祖父の亡き後、事業を引継ぎ法人化、ライスセンターの新築と規模拡大や順次設備投資を行い現在に至る。前職で経営の部分に携わったり、自動車修理の技術を機械整備に生かせているので今までの経験は無駄ではなかったと感じています。
石橋を叩いて渡るような性格と思われますが、無茶をしてよく怪我をします。ハウスの上から落ちて背骨を折ったり、草刈機で足を切ったり、結構痛いヤツです。